読書ノート、邪馬台国が見えてきた2

近畿地方において、黒塚古墳の発掘を超える重要なものは奈良桜井市纒向遺跡の石塚古墳の発掘である。発掘担当者、吉野博信氏は、190年頃のものとするが、この本の著者は、220年前後に置く。纒向石塚古墳の周辺は、纒向遺跡と呼ばれる集落群で吉野ケ里の6倍の規模である。高度な木工技術を有し、木製の上水道、すのこ状の編んだ木製の壁を持つ家等が見つかっている。黒塚遺跡は、纒向の北方にある。纒向の支配者が大和朝廷を起こし、天皇になっていったのだろう。纒向から出土する鉄器や青銅器は極めて少ない。ここの支配者は卑弥呼ではない。纒向遺跡は、近畿地方の遺跡の中では古いものである。300年代後半になると近畿地方に重要に遺跡遺物が目立つようになる。古代吉備は、北九州と大和を繋ぐ中継地として栄える。吉備の墳丘墓が巨大化して、それが大和に受け継がれる。墳丘墓で使われた特殊器台、特殊壺が発展して埴輪になる。大和朝廷の文化のかなりのものが吉備から来ている。