読書ノート、邪馬台国がみえてきた7

福岡県春日市須玖(すぐ)·岡本遺跡坂本地区から、2000年、同時に57本の矢じりを作った石製の鋳型が見つかる。そこは、奴国の青銅器工房であったとされている。須玖·岡本遺跡は、1世紀中葉に栄えた奴国の墓地だとされている。奴国の王が57年に、後漢に使者を送って、光武帝は、奴国の王に金印を与えた。その金印は、博多湾に張り出した志賀島で江戸時代に発見された。奴国の中心は、福岡市内にあった。奴国の外周を示す遺跡が発掘されている。福岡市中央部の那珂(なか)遺跡で、環濠集落を囲む外堀の一部である可能性が高い。奴国の王族は、自国の本拠地から少し離れた須玖·岡本に墓地を設けた。福岡平野を見渡せる丘の上にある。奴国の王墓は、明治時代に発見された。そこから銅鏡30面等、他を圧倒する副葬品が見つかった。その他、魏志倭人伝の小国の遺跡とされるものも見つかっている。一支国が残した長崎県芦辺町原の辻遺跡は、邪馬台国時代の小国の全体像をうかがわせるものである。2000年福岡県宇美町光正寺古墳の調査により、220年から250年の頃のもので、それが不弥国の王の子孫の墓とする説も出た。著者は、不弥国を宇美ではなく、飯塚市におく立場をとる。