2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

読書ノート、邪馬台国がみえてきた7

福岡県春日市須玖(すぐ)·岡本遺跡坂本地区から、2000年、同時に57本の矢じりを作った石製の鋳型が見つかる。そこは、奴国の青銅器工房であったとされている。須玖·岡本遺跡は、1世紀中葉に栄えた奴国の墓地だとされている。奴国の王が57年に、後漢に使者を送…

読書ノート、邪馬台国がみえてきた6

銅鐸は、長い間、日本古代史最大の謎であった。銅鐸は、弥生の集落から離れた小高い丘陵上からまとまった形で出てくる。近年、それは水の神の祭祀に使われたという説が出てきた。井戸枠のそばに銅鐸を祭った例が見られる。鳥取県の荒神谷では、大量の鉄剣が…

読書ノート、邪馬台国がみえてきた5

3世紀末頃までに、日本列島の西半分は、いくつかの地域国家に分立する動きがあった。北九州、吉備、出雲、大和にそれぞれ一個の地域国家ができたと考えられる。この流れを力ずくで曲げて西日本を統一したのが大和朝廷。大和朝廷が北九州を支配したのが4世…

読書ノート、邪馬台国がみえてきた4

吉野ケ里の発掘は、日本の青銅器制作の時期を大幅に早めることになった。それまで、国内での青銅器生産は、1世紀半ば、もしくは末に始まると考えられていた。それ以前の日本で出土する青銅器は大陸からきたものだと考えられていた。吉野ケ里ができるとともに…

読書ノート、邪馬台国がみえてきた3

弥生時代、人口1000人から3000人程度の小国が多くあった。吉野ケ里はその姿を伝えている。敵に対抗するための環濠集落とその周辺のわずかな農村が小国を形成していた。環濠集落は小国の構成員を守るためであり、また祭祀の場でもあった。吉野ケ里の全盛期は1…

読書ノート、邪馬台国が見えてきた2

近畿地方において、黒塚古墳の発掘を超える重要なものは奈良桜井市纒向遺跡の石塚古墳の発掘である。発掘担当者、吉野博信氏は、190年頃のものとするが、この本の著者は、220年前後に置く。纒向石塚古墳の周辺は、纒向遺跡と呼ばれる集落群で吉野ケ里の6倍の…

読書ノート 邪馬台国がみえてきたーちくま新書、著者ー武光誠 1

弥生時代の前期には、すでに青銅器の製造が始まっていた。2000年に和歌山県御坊市堅田遺跡から紀元前2世紀あるいは、紀元前3世紀の青銅器工房が発見された。紀元前250頃のヤリガンナの鋳型の一部も出土する。吉野ケ里では弥生時代前期の青銅器工房が見つかっ…