読書ノート 邪馬台国がみえてきたーちくま新書、著者ー武光誠 1
弥生時代の前期には、すでに青銅器の製造が始まっていた。2000年に和歌山県御坊市堅田遺跡から紀元前2世紀あるいは、紀元前3世紀の青銅器工房が発見された。紀元前250頃のヤリガンナの鋳型の一部も出土する。吉野ケ里では弥生時代前期の青銅器工房が見つかっていた。1999年大阪茨木市東奈良遺跡で弥生中期の小型の銅鐸が出土。小型の銅鐸は、それまで北九州で発見されていたから、銅鐸は、北九州から近畿地方に広がり大きくなったと考えられていたが、銅鐸が近畿地方で生まれた可能性もでてきた。1998年天理市黒塚古墳の発掘で、3世紀末の大和の文化の高さが明らかになり、邪馬台国が大和にあった可能性を示すものとされた。吉野ケ里は、弥生時代を知る上で最も重要な遺跡であるが、吉野ケ里の全盛期は、邪馬台国時代の百年余り前である。北九州では、紀元前50年頃、奴国が強大化したり、伊都国が栄えたりしていた。邪馬台国は、180年頃奴国や伊都国を支配していた。菊池川上流の熊本県うてな遺跡は、邪馬台国と同時代の遺跡であり、狗奴国はうてな遺跡の近くにあった可能性がある。時代が下がるに従って奴国や吉野ケ里の反対の瀬戸内海方面の文化が豊かになる。大和の勢力が北九州まで伸びて来たからであろうか、瀬戸内海は北九州と大和を繋ぐ海の道であった。
2022、8、22、月
昨日も今日も2日連続で制作小屋で、絵を描き、お習字の練習をした。お習字については、昨日は、半紙の課題をして、今日は、半切の課題をしたが、半切の課題については、もう一回やる必要がある。
2022、8、20、土
午前中自宅でスペイン語の勉強をした後、昼頃にプチアートに来て、小一時間程スペイン語の勉強をする。その後、読みかけていた、孫崎亮、戦後史の正体を読む。今現在の日本の惨憺たる状況の原因を考えるためにも、日本の敗戦後の歴史を振り返ってみることは、必要なことであろう。戦後の日本は、アメリカ支配のもとでアメリカの都合の良いように、アメリカの司令のもとに政策を実行してきたのであり、そのうちに、アメリカに積極的に媚び売るやからが、ギブミーチョコレートさながら、アメリカに重用されて、出世して社会を動かす中枢を占めるようになって来た結果として日本政治と社会腐敗の始まりがあったのではないだろかというこを予感させる本である。まあ、じっくり読んで見ましょう。2022-08-20
2022、8、11、木
今日は、休日でありましたが、油絵教室はあるということで、出席予定は、私とFさんの2人でしたが、Fさんが来れなくなったので、結局、生徒は、私一人になりました。
早めに出かけていたので、途中、喫茶店により、4時半に教室に行き、絵を描きました。
そのうちに、先生もやって来ました。
絵を描くのが一段落してから、先生といろいろお喋りをしました。